流水プールでの吸い込まれ事故

はじめに
水泳プールによる吸い込まれ事故は2006年の埼玉県ふじみ野市の流水プールの事故が良く知られていますが、学校プールにおいて過去40年間に56名の死亡(月刊体育施設調べ2007)、平成22年も温泉施設やクアハウスで事故(居合わせた救命救急士と医師により救助された)が発生しています。
学校の水泳プールの主な事故は

  • 飛び込み時の事故
  • 吸水口への吸い込まれ事故
  • 消毒剤による事故

です。子ども安全研究グループは吸水口への吸い込まれ事故を、2006年の埼玉県で発生した流水プールにおける女児死亡事故事例を検証することを通じて、既存のプールあるいは新設のプールに工学的な配慮で防止する方策について調査研究しました。

私達の調査研究は発生した事故にかかわった特定の個人や団体あるいは組織を非難することを目的としておりません。

1.事故の概要
(1) 発生日時:2006年7月31日 午後1時40分頃
(2) 発生場所:埼玉県ふじみ野市大井武蔵野1393番1 市営大井プール

(3) 事故発生時の状況:


大井プール全景
市営の流水プールで遊泳中の小学2年生(7歳)の女児が吸水配管に頭から吸い込まれて死亡しました。プールは、水深1.0m、幅5.0m、外周長121.6m、水面積538.25m2の大きさで、10m3/分(毎分10立方メートル)の容量のポンプ3台が流れを起こしています。流水プール外周壁面の3箇所に「取水ます」があり、取水ますのプール側開口部(以下、取水ます開口部という)には防護柵が設置されていました。
プール全景写真(管理棟2階から撮影、2010-5-28)を右図に示します。左側面の灰色のオーニングを掛けられているあたりに吸い込まれ事故が発生した取水ますと起流ポンプピットがあります。

(4) 事故の経過:
1) 夏休みの7月31日、ふじみ野市市営大井プールは、プール管理委託を孫受けしていたビル管理会社の社員である現場責任者と13人のアルバイトの監視員の監視のなかで営業していました。
2) 午後1時30分頃、小学3年生の男児が防護柵の1枚が外れているのを水中で発見し、近くの監視台にいた監視員に防護柵を渡しました。監視員は防護柵を監視台に立て掛け、管理棟2階の監視室を経由して事務室に連絡しました。連絡を受けた現場責任者が別の監視員と現場に到着しました。現場責任者は、取水ますに近づかないように遊泳者に呼びかけることを監視員2人に指示し、修理道具を事務室へ取りに戻りました。
3) 午後1時40分頃、母親と2人の兄と同級生でプールに遊びにきていた所沢市在住の小学2年生の女児が取水ますに近づいたのに気が付いた監視員が警告しましたが、女児は取水ますに吸込まれてしまいました。
(4) 取水ますは:
高さ600mm、横幅1200mm、奥行200mmの大きさで、2枚のステンレス製防護柵が取り付けられていましたが、事故直前に1枚が何らかの原因で外れ、監視員が注意を呼び掛けていました。
(5) 救急への通報:
午後1時50分頃、「女児が吸水口に挟まれている」との市営大井プールからの通報を受けた消防隊員らは現場に急行しましたが女児はすでに吸水配管内に吸い込まれていました。プールの水を抜き、重機を使って吸水配管を掘り出して女児は事故発生から約6時間後に取水ますから数m奥の口径300mmの配管湾曲部で見つかり、病院へ搬送されましたが死亡が確認されました。
(6) 死因:
頭蓋底骨折,脳幹損傷等による脳幹損傷の傷害で、死亡に至ったものです。
(以上は、ふじみ野市調査報告書と裁判の判決文によります。)

「吸水口とポンプ配管概要図」img606.jpg

     吸水口と起流ポンプ配管概要図
2.プールで吸い込まれるリスク
プールにはプール水を消毒して衛生状態を保つための循環ろ過設備用のポンプがあります。循環ポンプへの吸水は口径100mmから150mm程度の配管を使用しています。この取水ますは、プール底面や側面にあります。過去40年間に発生した吸い込まれ事故の多くはこの循環ろ過設備の取水ますと吸水配管の周囲で起きています。
流れるプールには、循環ろ過設備用のポンプのほかにプール水に流れを生じさせるための起流ポンプという大型のポンプ設備があります。ふじみ野市の流水プールでは10m3/m(毎分10立方メートル)の能力のポンプが3組設置されています。
プールの吸い込みリスクには次の様なものがあります。
  • ポンプの吸い込み力により取水口付近に流れ寄せられる。
  • 吸水配管口の近くでは数kgfから20kgfで吸い寄せられる。
  • 吸水配管口が人体の一部(手、足、背中、腹部など)で塞がれると吸引力は急激に大きくなる。その力は100kgf、あるいはそれ以上に達する。
  • 吸水配管口径が300mmの流水プールでは子どもの身体全体が吸い込まれる危険性がある。(ふじみ野市大井プールの事故事例)

注記:kgf(キログラム重(じゅう))は質量1kgの物体にかかる重力の大きさのことです。1kgf=9.80665N(ニュートン)。国際単位系(SI)に従えばニュートン表記になりますが、kgfが感覚的にとらえやすいので本稿ではkgfを使用しました。

3.事故の起こった「吸い込みます」
吸い込みますは、横1.2m、縦0.6m、奥行き0.2mで、中央に口径約300mmの吸水配管口が約60°の角度で取り付けられています。プールの水深は約1mです。吸い込みますはステンレススチール製(以下SUSと呼びます)です。なお流水プール自体もSUSです。
吸い込みますには0.6m四方の防護柵が取り付けられていました。防護柵の構造は25x25x3mmのSUS製L字アングルを上下の枠に、25x3mmの板材(フラットバー)を左右の枠に使用し、枠の内側に16mm径のSUSパイプが溶接されています。
防護柵は吸い込みますに溶接されている棚板受け(幅80mmもしくは160mm、高さ25mm、厚み3mm)にM5のビス4本で取り付けます。

「取水ますの外観」img607.jpg

     事故の起こった取水ますの外観

「防護柵」img608.jpg

取水ますに2枚の防護柵を取り付けた状態、事故時には左側の防護柵が外れていた
3.外れていた防護柵
事故発生直前にプール水底に落ちていた防護柵を遊泳中の男児が拾いプールサイドのプール監視員に渡しました。受け取った監視員は管理棟2階の監視室に連絡、監視室から1階の事務所へ連絡、事務所から管理責任者がプールサイドに来てその柵が吸水口の防護柵でありので取り付けるために柵を取り付けるための「針金」を取りに管理棟に戻った時に事故は発生しています。このあたりのいきさつはふじみ野市大井プール事故調査報告書、平成18年9月、ふじみ野市大井プール事故調査委員会、ページ30に述べられています。
3.1 防護柵は針金で取り付けられていた
事故の起きた吸水ます(横1.2m、高0.6m、奥行き0.2m)には2枚の防護柵が取り付けられていました。それぞれの防護柵は4隅を吸水ますの棚板受けにM5にビスでネジ止めする構造です。事故の発生時には向かって左側の防護柵が外れていました。さいたま地裁の判決文では7年前から針金を使用していたとあります。左側防護柵の4箇所すべてが針金止めであったか、4箇所のうち何カ所かが針金で何カ所かがビス止めであったかどうか判決文およびふじみ野市事故調査報告書からは読み取れません。また針金を使用するようになった経緯も判決文およびふじみ野市事故調査報告書にはありません。
3.2 なぜ針金が使用されたか

ふじみ野市大井プールの現地にて

  • 取水ますの構造、寸法
  • 棚板受けとネジ穴の状態
  • 防護柵(当該防護柵を含む全6枚の防護柵)の構造、寸法、状態
  • 取付ビス(SUS M5)4本の状態

を調査しました。
吸水ますと棚板受けは大井プールの側壁にあり、保存状態は良好でした。
防護柵(6枚)と取付ビス(4本)は事故後警察に留置されていましたが2011年8月にふじみ野市に返還されましたのでそれを調査しました。防護柵はSUSで状態はしっかりしています。返還された4本の取付ビスは、4本まとめてプラスチックス袋に収納されており、1本ずつ識別されていませんでした。どの取水ます、防護柵のどのネジ位置に使用されていたものかは不明です。

調査で判明したことは次の通りです(概要)。

  • 防護柵を棚板に取り付けるビス通し穴加工は現地施工である。
  • 棚板受け(SUS 3mm厚)の穴開けとタップ切りは現地加工である
  • 防護柵(当該防護柵を含む全6枚)のビス通し穴位置はバラバラで防護柵の互換性は無い。
  • 棚板受けのネジは24箇所中17箇所にネジの潰れ、穴の損傷がある。
  • 残り7箇所のネジも相当傷んでおり、不完全ネジである。
  • 防護柵の貫通ネジ穴位置と棚板ネジ穴位置にミリ単位であるがズレているのでネジ止めが出来ない箇所が24箇所中8箇所ある。
  • 返還された4本のM5ビスはいずれも不完全ネジである。
  • 棚板受けのネジ(タップ)が不完全ネジである。
  • 防護柵のビス通し穴の大きさはM5ネジに対して5.0mm、4.9mmあるいは4.7mm穴と小さいものが6箇所ある。
  • 防護柵の外形寸法と吸水ますの内寸の差は1mm、2mmと余裕がない。
  • そのため吸水ますに防護柵をはめるのに相当な力を要する(3台の防護柵)。
事故発生当時(2006年7月)と現地調査の時点(2011年9月)においてプール側壁の土圧などにより多少の歪みが生じる可能性はありますが、防護柵外寸と取水ます内寸の違いが少ない事、取水ますは鉄製フレームと一体であることからあまり大きな歪みは無かったと考えられます。従って事故発生当時と現地調査時の状況には判断に違いが生じるほどの違いは無いと思えます。
当該防護柵は取水ますに針金を使って(判決文より)取水ますに取り付けてありましたが、4箇所のうちビス止め箇所があったかどうかは明らかではありません。ビス止めされていたとしても、棚板受けのビス穴タップの不完全ネジ、ビスの不完全ネジの状況から、ビス止めしたビスがあったとしても抜けやすい状況であったろうと推測します。
3.3 裏付ける写真と資料

「取付ビスの状況」img609.jpg

     取付ビス、警察から返還された4本のうちの1本の外観

「棚板受けのビス孔の状況」img610.jpg

棚板受けのビス孔の状況、ビス孔が鉄製で塞がれ1mmの貫通孔(左)、ネジ山が無い(右)

 

4 技術的に防ぐことは出来なかったのか
大井プールの防護柵取付は針金であり一部にビスが使用されていた可能性もあることを述べましたが、設計はネジで防護柵の4隅をビス止めすることになっていました。つづいて設計と施工について検討します。
4.1 設計の問題
  • 図面ではタッピングビスが指定されています。タッピングビスは薄板鋼板やFRP等に使用されますが、タッピングビスはSUS3mm厚の棚板受けにタップを立てることができませんので本プールの取水ますでは使えません。
  • 防護柵図面のビス孔位置はφ16mmのパイプと重なり穴開け出来ません。
  • 取付ビスのサイズを指定していません。
4.2 施工時の問題

取水ますと防護柵について見分したところ次の事項が明らかになりました。

  • 図面通りの施工ではありませんでした。
  • 防護柵の取付穴開け加工を現場でおこないましたので、穴位置がそれぞれの防護柵で違っています。そのため防護柵を取り付ける時の互換性がありません。
  • どの防護柵をどの取水ますの左側あるいは右側に取り付けるのかの標識がありません。間違った組合せで防護柵を取り付けるとネジ穴が合いません。
  • M5ビスに対して4.7mmから5.0mmの通し穴は屋外プールの施工では小さすぎます。無理にねじ込むとビスのネジ山が壊れる(不完全ネジといいます)、棚板受けのタップが壊れるなどの不具合が生じます。

図面通りに施工できないならば設計(施主)との協議をしたのでしょうか。

4.3 防護柵一枚に頼る危険の認識
最も重要なことは、起流ポンプへの吸い込まれリスクを認識していないことです。防護柵の一枚が外れると人命にかかわる危険が生じることを認識していません。このプールの消毒用循環ポンプの取水ますは、事故の起こった起流ポンプ吸水ますの上流約30mにありますが、その取水ますはSUSの蓋に多数の丸穴があり、吸水配管口には防護金具が付く二重構造になっています。吸い込み流量の大きい起流ポンプの吸い込みますにはなぜ消毒用循環ポンプの取水ますにある防護金具を設備しなかったのでしょうか。危険だとの認識が無かったといえます。

消毒用循環ポンプ吸水ます、SUSの穴あき蓋(右側)と吸い込み防止金具(中央)がある
5 吸い込まれる力
ポンプに吸い込まれる力を株式会社荏原製作所の御協力で測定しました。
5.1 実験装置

水泳プールを模した水槽に吸水配管口径150mmを取付け、流速3m/sの能力を有するポンプで水を循環させて吸水配管口にダミー物体が接近したときの吸引力、圧力、流速、ポンプ回転数を計測しました。ダミー物体は、

  • 直径180mm、厚さ20mmのSUS製円盤
  • 直径100mm、厚さ20mmのSUS製円盤
  • 7歳児の1/2の簡易モデル

です。吸引力はロードセルで計測しました。

「実験用水槽」img612.jpg

実験用模擬水槽 吸水管口径 150mm、流量 3m/s

「実験用ダミー物体」img615.jpg

実験用ダミー物体、180mmSUS円盤と1/2モデル 7歳女児

 

5.2 解析
実験により多くのデータが得られました。下図は150mm吸水配管口に3種のダミー物体(直径180mm厚さ20mmの円盤、直径100mm厚さ20mmの円盤、7歳児の1/2簡易モデル)を接近させたときの吸引力を図示したものです。吸水配管口から100mmに近づいた所から徐々に吸引力が発生し、20mmの距離では(60kgf、9gkf、25kgf)の吸引力でした。
この力は大変大きな力です。いったん吸い付かれると自力では脱出出来ません。

「150mm吸水管口における吸引力」img615.gif

150mm吸水管口における吸引力

 

6 プールの安全標準指針(文部科学省、国土交通省)
安全標準指針では、既存のプールに対しても、防護柵と保護金具の二重構造にすることを定め、取付金具(ビス、ボルトナットなど)をプールの営業開始前、毎日のプール利用前後、定時に点検するように要求しています。
すなわち防護柵によるリスク低減とその防護柵をメインテナンスすることによるプールの安全方策を許容しています。
防護柵(蓋とも言います)はビス、ボルトが緩んでも防護柵が外れないこと、保護金具に吸い寄せられても吸い付けられず自力で脱出できること、のような具体策があれば現場は対処しやすくなるのでは無いでしょうか。
また、新設のプールでは構造上吸い込み・吸い付き事故発生のない施設にせよと指針として示して頂きたいものです。(指針の2-2項、解説(2)のただし書き「構造上吸い込み・吸い付き事故発生のない施設」参照)
7 本質安全設計
プールの設備にはポンプが欠かせません。流水プールの起流ポンプ、消毒用循環ポンプあるいはウォータスライドの循環ポンプなどの吸水口には吸い込まれの危険源があります。この危険は、人体の一部が吸水口を塞ぐと吸い込まれの吸引力が急激に大きくなります。リスクの低減には、本質安全設計、防護による安全、非常停止押しボタンなどの付加の保護方策、使用上の情報があります。
二重構造のうち、防護柵は吸い寄せられないための距離を維持するための安全策(これを隔離による安全といいます)であり、保護金具は吸い付かれたときに捕捉されないための安全策です。捕捉されないための安全策を確実なもの、すなわち本質安全設計にすることが必要です。
8 今後の研究
(1) プールの安全は子どもの生命に直結していることを重視して、工学的視点から安全を検証するべきものです。私たちはプールの設置に関しては行政機関の認可事項とし、然るべき資格者による審査を行なうよう提言いたします。
(2) 「プール安全標準指針」を分かり易く補足改定してプールの所有者、管理者あるいは設計者に周知徹底を図って頂きたいと希望いたします。
(3) 本質的な安全設計および十分に吟味された防護による安全方策が、今後新設されるプール全てに適用するべきと考えています。すでに使用中のプールについても出来るだけ早期にきちんと安全に関する妥当性が評価された本質的安全方策と十分に吟味された防護による安全方策が実施されるよう改修がされるべきと考えます。
(4) 水泳(遊泳、温浴などを含む)プールに潜む危険源のうち、吸排水口に吸い込まれる事故は工学的な方法でリスク低減が可能です。ビス/ボルトの増し締めを人間のメインテナンスに依存する、監視員に依存するなどは採用すべきではないと考えています。このことを実現する工学的解決案をこれからも研究し公表したいと考えています。
(5) 対象となるプールは、流水プールのみならず、遊泳プール、ウォータスライダ、クアハウスなど消毒用循環ポンプ/吸水ポンプなど機械力によって取水をおこなっている施設です。

(6) 当研究グループはこれからも

  • 工学的に防げる「吸い込まれ事故」をゼロにする技術的ガイド(指針)の作成と公表
  • 既存プールへ実現可能な(予算と設計・施工)対策案を提案
  • 安全指針(文科省、国交省)の改訂を提案
  • 既存プールへのコンサルテティングの提供

などを目指して活動を続けたいと思います。

9 主要な参考資料

インターネットで入手出来る資料類です。