工学的に防ぐには

はじめに
私どもの研究は、子どもの事故を工学的に分析し、子どもの事故を低減するため技術的解決案を提案することを目的としています。
おこなっている活動は、日本小兒学会誌のInjury Alertに掲載されている事例および他の重要な事例を工学的に分析して、事故の原因の本質を見極め、危険源を明確にして、その対策をまとめ社会に発表しています。
私どもの活動を紹介します。
1.子どもの安全研究グループの活動方針
当会の活動目標は「広範なエンジニアリングの知見を活用して、子どもの不慮の事故を防止する」ことです。
(1) 複数分野の技術士のグループとしての特性を活かした活動を目指します。
技術士の最大の共通能力は「科学技術に関する高等の専門的応用能力」です。その技術士が複数分野集まることによって広範なエンジニアリングの知見を活用することができます。また私どもはは採り上げた事例について独立であり、関与者、関連機関のいずれにも偏らない中立的な判断ができます。
(2) 子どもの不慮の事故を対象としています。
大人が関わる事故と子どもの不慮の事故のもっとも大きな違いは、子どもの場合は多くの場合「誤使用」の概念を当てはめることができません。子どもが関わる可能性のある道具、機械、設備、材料は原則として、子どもが行ういかなるアクセス(取り熱いや接触など)によっても、子どもの心身に、許容されないレベルの障害を生じさせてはなりません。
(3) 当会が取り扱う不慮の事故はつぎの3つの条件を満たす事象としています。
1) 人工物が原因(の一部)となっていること
2)(設計、製造、運用管理者等にとって)予見可能であること
3)(設計、製造、運用管理者等にとって)回避可能であること

1)はエンジニアリングの知見を活用するための前提となりますし、2)と3)が成立しなければそもそも事故防止は不可能だからです。
予見可能性と回避可能性に関しては、それぞれの義務性の有無、困難さは問いません。

(4) 防止するとは現に低減させることを意味します。
単なる評論や解析や計画にとどまらず、現に起こり得る事故を抑止し、失われる可能性のあった命を救うことを目標とします。もちろん全ての不慮の事故を無くすことは不可能でしょう。しかし一人でも多くの子どもの命を守ることを目標としています。
2.Injury Alert事例分析の基本的視点
子どもの死亡原因の第1位は「不慮の事故」によるものです。
子どもの安全研究グループの活動方針に基づき、日本小児科学会誌(Injury Alert)事例および他の重要な事例の分析は次の視点に立って実施しています。
(1) 事故の工学的な分析と対策とは、該当する機械類(道具、設備等を含む)あるいは材料のリスクを定量的に評価して危険源を同定し、その危険源のリスクを低減することです。
(2) この分析においては事故を引き起こした危険源に限定せず、その機械類(道具、設備等を含む)あるいは材料が保有するリスク全てを対象とします。これによってその機械類(道具、設備等を含む)あるいは材料によって今後引き起こされるかもしれない重篤な事故を全て排除することを目指します。
(3) この研究においては、事故を本質的に防止する方策は人の注意力に求めず、その機械(道具、設備等を含む)類あるいは材料の危険源そのものの排除によることを第一とし、それからの防護を第二とする。そして人の注意力に頼る方策は、ごく小さなリスクに対してのみ認めるものとします。
(4) 事実と意見を明確に区分けします。そして意見はできるかぎり定量的な解析に基づいて実施するべきと考えています。

この研究においては、研究期間の制約のためおよび入手できる資料類の制約がありますので、リスクの定量評価に基づく危険源の同定およびリスク低減の提言は十分ではなく基本思想に留まっている事例もありうると思います。これについては一旦報告書としてまとめても引き続き作業を進めて、できるかぎり広範な分析および具体的な低減方策をまとめていきたいと考えております。

(補足)
 ここに記した方法論は以下の規格、標準に従っています。
 ・ISO/IEC guide50: 2002 Safety aspects – Guidelines for child safety
 ・JIS Z8051:2004 安全側面-規格への導入指針(ISO/IEC guide51:1999)
 ・JIS B9700-1,-2:2004 機械類の安全性-設計のための基本概念、一般原則
 ・他

 機械類の安全性についてこれらの安全に関する国際規格類が現在世界で広く認められていることから、本会の活動においても、これら規格類を踏まえて評価、分析を行い低減方策の提案をしています。
(上記JISを発展させた「機械の包括的な安全基準に関する指針」が平成19年7月31日に、厚生労働省労働基準局長通達として公表されています)。
 これら規格類によれば安全とは
safety: freedom from unacceptable risk.
と定義されています。
 すなわち「許容されないリスクにさらされないこと」そしてリスクを低減させるために、リスクアセスメントおよびリスクを十分に低減するためには低減プロセスを繰り返し実施することが要求されています。
 なお、機械類に関わらない事例(マニュキュア除光液による中毒)においても有害な物質を使用するときに生じるリスクを評価し、許容されないレベルのリスクが認められた場合にはその低減を図るという考えで取り組んでいます。
 リスク低減については次に示す3ステップメソッドによることが安全に関する国際規格類では強制されています。このステップは順位を含めての強制であることに注意しなければなりません。
ステップ1:本質的安全設計方策によるリスクの低減
ステップ2:安全防護によるリスクの低減、付加保護方策の実施
ステップ3:使用上の情報によるリスクの低減

 従来はこれらの方策の優先順位が意識されず、ややもすれば簡便な方法に流れやすかったのですが、有効な再発防止のためにはそれは厳にいましむべきことです。
 機械類に対して本質的安全設計方策を求めるには多くの場合、設計にまでさかのぼってリスクアセスメントを行いリスク低減方策を考慮する必要がある。「事故の事典」(日経BP社、2009-02-01発行、p3)によれば、2006~2008年代の事故においては製品のライフサイクルの各段階の原因割合は次のように示されています。
   ・設計工程 60%
   ・製造工程 14%
   ・使用工程  8%
   ・保全工程 16%
   ・不明    3%

3.活動の概要
当会の活動よりいくつかの活動の概要を紹介します。詳しくはそれぞれのページを参照して下さい。
(1)浴槽用浮き輪による溺水
機械力学の知見に基づく浮体安定性解析を行った。その結果、浮き輪と子どもとの系は普通に予想されるよりも遙かに不安定状態が発生しやすいことが分かった。しかもいったん不安定状態となると一気に180度転倒し、その状態が安定状態となることを見出した。市販されている多くの製品には設計における重要な問題が残されている。また、法規による規制は十分でなく、この点も改善するべきである。
(2)乳児用ベッドからの転落
主要仕様については規格が定められている。しかし、子どもの発達過程によって重要な仕様変更があり、その対応は使用者に任されている。(1)浴槽用浮き輪および(4)流水プールに比べればリスクは小さいとはいえ、無視できるレベルではない。商品の設計(本質的安全設計、安全防護、使用上の情報)および法規による規制、双方の対応が必要である。
(3)マニキュア除光液による中毒
除光液の使用量を実測し、使用量の分布を統計的に特定することができた。密閉空間で使用したときの濃度分布は未評価なのでリスクの定量評価は今後の課題であるが、多くの家庭に保管されているマニュキュア除光液において、その使用上の情報すらない現状は、改善されるべきと思われる。
(4)流水水泳プールによる吸い込まれ事故
次の調査、実験、解析を行った。
(a) ふじみ野市大井プールの調査
(b) 吸水配管口近傍の流体力(吸い込まれる力)の実験
(c) 吸水口近傍の流体力の解析
これにより、ふじみ野市大井プール事故は設計、施工(製造)、運営管理(使用)の全ての場面で不具合を生じており、安全原則に則らない業務がなされてきたことの確証を得た。そして、実験、解析によりプール吸水口近傍の流体力の定量評価が可能となったので、今後、既存プールの安全対策と構造基準案の策定の作業を進めたい。
また、ふじみ野市殿のご協力を得て、大井プールの取水ますと吸水配管口近傍を大井プールの解体に先立って保存することができた。
4.まとめ
技術者倫理の知見に拠れば、技術は社会から次の期待を負っているとされています。
   (1)科学技術の危害を防止する
   (2)公衆を災害から救う
   (3)公衆の福利を推進する
 ここでで取り上げた4つの事例は上記の(1)および(3)に関わっており、(3)の達成のために(1)に違反してしまったものではないでしょうか。幼児を育てる母親のために浴槽用浮き輪は作られました。母親の期待に応えた製品でしたが、そこで考案された浮き輪という手段は、私どものの研究によれば本質的に不安定であり、母親の期待に応えるには適切な手段だったとは認めがたいものでした。それが不適と分かれば、代替手段は幾つもあるはずです。設計段階でリスクを見逃したとき悲劇に直結することの悲しい実例となってしまいました。
設計における安全、製造における安全、使用における安全、いずれの場面でもリスクの評価が全ての出発点であります。リスクアセスメントにおいては、細かな設計上の議論は不要で、重大なリスクがあるかないかを評価すればよいのです。
安全のこの原則に基づき、子どもの安全をこれからも追求してゆきたいと当会は考えています。
なお、本研究のうちの「(4)流水水泳プールによる吸い込まれ事故」の研究を実施するに当たり、その吸い込み力の実験の部分では株式会社荏原製作所殿の全面的なご協力をいただきました。具体的には実験計画、実験装置の設計・製作・調整、そして実験の実施と実験データ取りまとめに至る調査・研究のすべてを行っていただいた。これによって重要な定量データを得ることができ、今後の解析およびリスク低減方策の構築に向けて重要な知見を与えていただきました。ここに特記して、感謝申し上げます。

当会の活動につきましてお問い合わせ等ございましたら、下記までご連絡くださいますようお願い申し上げます。
公益社団法人日本技術士会登録 子どもの安全研究グループ
E-mail:info @kodomonoanzen.jp”